いきさつ 02
Bump of chickenに出会ってしまったことが、今に至る大きなきっかけだったのはもう間違いない。小学生だったあの頃、テレビになかなか出ない彼らのことはクラスメイトにはあまり通じなかった。クラスの皆がアニメとか漫画とかで賑わっている中、私は一人いつもバンプの新譜と、ライブの情報を楽しみにしているような子供だった。
父の古いギターをいじりだしたのもその頃だ。父の本棚から、ページのとれたコードブックを引っ張り出してきたり、バンプの曲のスコアを少しずつ練習したりした。
そうだ、そうしているうちに自分用のアコギをプレゼントされて、弾けるコードだけで曲を作りだしたのだった。
まだ暇つぶしの域を出なかったが、その時書き出したものはすでに普遍的な歌詞では満足できなくて、すごく時間をかけていた気がする。やっぱり「バンプみたいなものが作りたい」という気持ちが無意識にあったのだろう。
多くのファンがおそらくそうであるように、私も彼らの歌詞が好きだった。優しくて、どこか苦しくて、自分が気付かなかった自分自身を、探して見つけてくれるような言葉が好きだった。藤原基央がそれを意識していたかはともかく、少なくとも丁寧に、時間をかけて作っていたのは明らかだった。歌詞を書く時にはその姿勢から懸命に真似た。最初は理屈っぽくてわからないものになってしまったり、まとまらなくて歌ってみたら5番まであったりした。
だけど楽しかった。言葉が音符に乗るのが楽しかった。何気ない言葉もメロディがつけば胸を刺すように感じられた。当時10代前半、それしか生きていない私にも言葉に魔法がかけられる、そんな錯覚ができた。
その頃書いた曲は覚えているものも、覚えていないものもある。処女作がどれなのかは、同時進行で色々作っていたから曖昧だ(なんなら、この頃からずっと爪弾いていて、最近になってやっと完成した曲もある)。
ギターでじゃんじゃん弾いていた時に気に入ったコード進行を、ふと思い浮かんだまま色々歌を付けた。
楽しくなると没頭してしまう子供だった。勉強机にコードブックとチラシの裏紙を目いっぱい広げて、晩御飯に呼ばれるまでずっとギターの弦を引っ掻いた。お風呂で湯船につかっている時に続きを歌った。眠る一歩手前まで布団の中で小さい声で口ずさんだ。
あの頃の私には今のような渇望はなかったはずだが、当時の私と大人の私に行動の差はあまりない。
もしかしたら、きっかけがあったから本気になったのではなくて、行動が本気を作ってしまったのだろうか。
もしそうなら誰か、あの時の段階で私を止めてくれていたら、なんて、あまりに勝手な考えだ。