いきさつ 01

初めて家族以外に作詞したものを聴かせた時のことは強烈に覚えている。作詞したものというか、いわゆる替え歌だった。
小学一年生の時、杉本竜一作の合唱曲「BELIEVE」を、三番の歌詞を作って全校生徒400人の前でステージに立って歌った。

私の通っていた小学校では「こんげつのうた」というのがあって、毎朝決まった歌をみんなで歌わされていた。ある時の課題曲「BELIEVE」を私はいたく好きになってしまって、二番までしか歌えないのが惜しくて、勝手に三番を作って、なんでも発表会みたいな会でたった一人歌ったのだ。我ながらとんでもない奴だと思う。あの頃だって別に、自分のことをはちゃめちゃに歌が上手いとか思っていたわけではなかった気がするが、謎の自信と、やたら強い目立ちたい欲みたいなものがあった。あの毛の生えた心臓はどこで落としてきてしまったのかとんと見当がつかない。
幸いにも私は担任の先生にもクラスメイトにも恵まれていた。教室に帰ってきた私に、先生はもう一回歌って、と言った。クラスメイト全員が私の書いた三番を一緒に歌ってくれた。稚拙というか、もともとの曲の真似事みたいな詞だが、今でも空で歌える。普遍的で耳ざわりがいい、我ながらあれはあれでいいものだったように思う。

この話に限らず、作詞の真似事はかなり長いことやっていた。映画のサントラやニュースのBGM、気に入った曲に適当に言葉を当てはめて口ずさんだりするのは、私の中ではよくする遊びだった。
今はそんなことは決してないのだが、この頃は「言葉のついていない音楽」は退屈なように感じていた気がする。音楽には何かしらメッセージを言葉で乗せたがって、「自分だったらこんなふうに歌う」という気持ちで何でもかんでも歌詞を付けてみたりしていた。なんて大きなお世話だという話だが、そうやって歌ったり書いたりする私を家族も先生もよく褒めた。それが嬉しくて調子に乗った。まるで自分がとても素敵な才能の持ち主のように思えていたのかもしれない。

目立ちたがりで自己表現欲が強い私を、誰も否定しなかった。それが良かったのか悪かったのか、こんなにこじらせてしまって今に至るのだけれど。
あの頃のようにただ楽しくて嬉しくて、目立ちたくて、完成すれば何でもよくて、なんて書き方はもう到底できない。他の誰でもない、世界中で私のためだけの歌詞の書き方だ。したいとも全く思わないから別にいい。

ただ、そうするとあの「BELIEVE」の三番みたいな、雲一つない青空みたいな歌詞はもう書けないのだろうなとも、思わなくもない。