ミザリー19歳
髪の長い女の人が、公衆トイレのようなタイル張りの部屋でうずくまるジャケット写真。何度もひっくり返して、裏表を交互に眺めたことを覚えている。従兄が嬉しそうに差し出したCDは、ショップで売っているそれと遜色のないものだった。
家族にも親戚にも、音楽に触れている人間は多かった。特に従兄は、亡くなった叔父のベースを引き継いで、そこから友人同士でバンドを組み始めた。
私が高校生の頃、夏休みに母の実家で、二人で留守番している時に、彼は自分のパソコンを持ってきて、まだ音源にしていない自分のバンドのデモ曲を私に聞かせてくれた。夕暮れの静かな居間に、まだ世に出ていない音楽がいくつも流れた。この曲はどういった経緯でできたとか、ライブを見に来てくれた人にこんな反応をもらえたとかなんたら、アイスを齧りながら話してくれる彼はとても楽しそうだった。
大人になって会う機会があまりなくなってしまって、そのバンドが今どうしているのかはわからない。ただ私のウォークマンにはまだ、あの時もらったCDの音源が入っている。ランダム再生しているとビートルズの後に従兄のベースが耳に入ってきたりする。往年の名高い定番曲も、身内が自主製作したオリジナル曲も、どれも「音楽以外の何物でもない」と改めて思う。手のひらより小さい音楽プレイヤーに詰め混んでしまえば、価値や意味に上下のない、平等な作品たちに過ぎないと思い知る。
「名曲」という言葉は定義がよくわからなくて嫌いだ。そんなもの本当はないと思う。従兄のバンドの曲で、身内びいきではなく一曲お気に入りがあった。がなるようなボーカルの、若者の決意の歌声が心地よかった。それだけで、私にとっては、時にはビートルズより意味を成したりする。
それでも、わかっている。名曲はなくても、「ヒット曲」はある。多くの人に知れ渡る曲は知れ渡る。そうでない曲はいつか、忘れられてしまうこと。存在さえ曖昧になってしまうこと。
本当に大事なことは、きっとシンプルだ。あの夏休みの冷房の効いた居間に、そして私のウォークマンの中に全部揃っていた。
なのにどうして、どうしても、息を続けていくことが難しくなってしまうのだろう。
あの頃の従兄と同じ道を辿るように、今、私が自分で曲を作っていて、バンドをする楽しさも知ってしまっていることは、思い返すと少し変な感じがする。
きっと音楽をやる誰もが願うように、私も同じように願っている。私の作る曲が一秒でも長生きしてくれるように、願っている。