いきさつ 03

一曲を完成させる力がついた頃、歌詞は完全に自分語りのツールになってしまっていた。藤原基央の世界観が衝撃的だったように、私も歌詞にするなら何か、意外性や斬新さが必要だと思っていたのだ。そのことに気付いた時、これじゃないと思った。私一人の自己満足の域を超えた、多くの人からみても馴染むものが欲しいと思ったのだ。いつの間にか、そう思うようになった。

もっとありのままに書こうとした。どんな生き方をしても、絆とは素晴らしいもので、別れは悲しくて、生きることが多少なりとも苦しいことなのは、どの人間も変わらない。奇をてらったメッセージではなくて他愛ないことを、いかに自分だけの表現で彩るかというところが、私が憧れた「世界観」だったんじゃないかと考えた。

そう思ってからは、詞を書く作業は主張を作り出す作業ではなく、目下自分に問いかける作業になった。出来るだけ素直で、感じたままの言葉を掘り出すような感覚で、自問自答した。
あの時、思わず泣いたのは何が悲しかったのか。何が納得いかなかったのか。言われた言葉に傷ついたのはどうしてだったのか。何かを思い出しそうになったのは何だったのか。「わかんない」「なんとなく」で逃してきたものの尾ひれを捕まえて、自分の中にある語彙をフル活用してそいつらに名前を付けた。納得いくまで書いては消して、そうして音符の中に押し込んだ。

正しいのかどうかは知る由もない。この作り方は、板についてきた今でも相当な心のスタミナを要する。「わかんない」や「なんとなく」はつまり、「そうして流せれば楽だった」ものばかりだった。見ないふり、知らないふりをすればもう少し器用に生きられたであろう自分の性格とか思考の癖、平たく言えばトラウマを、あえて正面から見定める作業だった。
ただ、自分が満足するものを書こうとしたらここにたどり着いた。楽しくて、もっといいものが作りたくて、こだわりたくてこうなった。だんだんと作る作業が楽しいだけではなくて、必死になってきていることも自覚していた。必死だからこそ、「せっかく作ったものを誰かにちゃんと聴いて欲しい」なんて強欲も生まれた。

今の曲の作り方に不満はない。ただ振り返れば、音楽を聴いて励まされたり泣いたりして、それをきっかけにギターを指で弾き出した幼い私がちらつく。私に影響を与えてきた音楽たちは、こんなに「精神削って作ったから聴いてくれ!」と押し付けるような気持で生まれたものなのだろうか。私のこの強欲は正しいものなのだろうか。

答えは出ない。でも、私にとって多くの音楽がそうであったように、聴いてくれた人にいいものであるようにと作っているのも、本当だ。
だから私は祈るしかない。私のエゴで生まれたかもしれない曲が、誰かにとって優しいものであるように、祈るしかない。

この唄が、あなたの唄になりますように。