パンと鋏

ここ最近、食欲のない日が続いていた。今日は適当に買った小ぶりのパンを口に詰め入れて、噛んで飲み下して終わりにする。こんな食事のとり方でもどうにか生きていけるのだから、不思議なものだ。こういう雑な生活をする時、自分が精神を注いでいるものが「衣食住」に含まれないことをふと思い出しては、私は時々嫌な気分になった。

「もうそんなに慌てて書かなくてもいいんじゃない」と、四方からちょくちょく言われるくらいには、現状十分に持ち曲がある。実際、徹夜をしてギターを弾いたり打ち込みをしたりする作曲作業はそう頻繁にしているわけではない。ただ私の曲作りは、たとえPCも楽器も手元になくても、起きている間は頭の隅でずっと続いていた。まだ不完全な歌詞やメロディを頭の中で繰り返し口ずさむのが、いつの頃からか癖になっていた。

一種の脅迫観念だった。怖いのだ。曲を書くことを、書くその姿勢を、忘れてしまうことがたまらなく怖いのだ。作曲作業から少し離れた隙にもし書けなくなったらと思うと、もうそれは自分ではない気がしてしまう。そういう思いあがった恐怖心が体に染みついて、ふと気づくといつもいつも音楽のことを考えているようになってしまった。

そして何より、今この瞬間にしか書けないものがあると常々思っていることが、いつでも創作する態勢でいるもっとも大きな理由だった。
私はとても欲張りだ。自分の得たものはなんでも鮮やかなまま切り取って、形に残したかった。他人からもらった言葉も、絶景を見た感動も、感謝も反発心も、あの、ひどく泣いた忘れられない夢も。
人生に同じ一瞬はない、同じ衝動も二度と起こらない。生きているうちで受けた衝動の全部に、私にとって意味がある。だから、忘れないうちに全て音符に落とし込んで、できうる限り書き留めておきたかった。

ここまで書いて自嘲した。自分の作品を誰かに聴いて欲しい、誰かの心に刺さるものであってほしいと願いながら、所詮私の作る曲の根源はエゴでしかないことに、私はとっくに気付いていた。
多分私は、私が生きた全てを忘れたくないのだ。

あくまで生活の基本という意味なのは知っている。それでも「衣食住」と聞くと、私がこんなにも毎日心を擦り減らしている恐怖も渇望も、生きる上では、さっき胃に収めた味のない小麦の塊の意味には敵わないと言われているような、幼稚な被害妄想が頭をよぎる。確かに食べなければ生きられないのだけど。ただ私は、生きているだけでは物足りなかった。