音楽ディレクターの男09

「わ、わかりましたけど。具体的に何をどうすりゃいいのか…」
「とりあえず、経歴書をとっとと出して、ミヤタさんに会社を辞めます、ってことだけは言っといたほうがいいな。そいで、6月いっぱいまで在籍して、移籍しないで辞める、ってことで」
「今後のことはなんて言うんですか?キバさんとバンドやる、って言うんですか?」
「いや、それはまだやめとけ。キバが独立してフリーになるから、それについてく、ってことにしとけ」

テーブルの上のモノを平らげてから、キバさんはタバコに火を点けた。
「俺がどうしてディレクターになったか、話したことあったっけ?」
「いや、わかんないっす」

キバさんはもともと、作曲家としてあるプロダクションと契約して、主に劇伴やCMソングなどを手掛けていた、と聞いたことがある。それがどうしてディレクターになったのか。じっくり聞いたことはなかったけれど、レコード会社の社員なら、音楽経験、楽器経験のある人は珍しくない。ぼくだってそうだ。だから、特に疑問に思ったことはなかった。

「最初から俺は、いずれアーティストになるつもりだったんだわ。けど、曲は書けるけど、それ以外のことはなんにもわかんねーから。だからディレクターになった」
初めて聞く話だった。

「自分が勝負するときは、何から何までぜんぶやりたい。企画も、制作も、宣伝も、営業も。つくるのだけ自分で、あとは会社任せ、そういうアーティストにはなりたくなかった。制作の現場に、ディレクターとして参加することで、音楽業界のことをいろいろ身につけて、そういうのがぜんぶわかってきたら、勝負しようと思ってた。いまが、その時だ」

何やら、凄いことを言い出した。
「作品の企画も、ライブのスケジュールも、ぜんぶ分業制になって、アーティストが決められることなんてそうそうない。制作だって、納期と予算、ふたつの手錠に縛られてるのが実情だろ」

プロにあってアマチュアにないもの。それがシメキリだ。納得いくまで何度でも作り直せるアマチュアと違って、プロはシメキリに合わせて作品をつくり上げなければならない。このプレッシャーは、経験したひとにしかわからない。メジャー契約を結んだ途端、プレッシャーから筆が止まる。既存曲だけでやりくりできるのは、せいぜい1年。そして、それからは一曲も書けないまま契約が見直され、アルバム1枚で契約解除。こういうアーティストは、実はけっこういる。

予算も同様だ。上限がある以上、スケジュール通りに最高のギターソロを、最高のボーカルを録り終えなければならない。今日できなければ明日、というわけにはいかない。スタジオも、エンジニアも、予算が必要だから。そしてそれは、綿密に上限が定められている。

そして、このふたつの制約があるために、制作に打ち込めないという面も確かにある。宮中しほりのアルバムも、クオリティだけを目指すなら、インフルエンザが回復してすぐレコーディングをすべきではなかったはずだ。けれど、それは仕方ない。アマチュアは満点を目指していられるが、プロは合格点を目指さないといけないからだ。「完成とは、改善をあきらめることである」といったのは、確か海外の画家だったっけ。

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