音楽ディレクターの男10

キバさんの話は、いちいちぼくの感覚を震わせた。要するに、自分たちの作品を納得できるまでつくり込んで、宣伝やメディア展開も自分たちで企画して、リリースして、自分たちで組んだスケジュールでツアーを回る。そういうバンドをつくるために、裏方でいろいろ学んできた、ということだ。そのロジックはとてもわかりやすかったし、共感した。とても魅力的なビジョンだった。いつのまにか、ぼくはバンドの一員である自分を、すんなりと受け入れていた。

「じゃあ、とりあえずめぼしいスタジオミュージシャンに声をかけて、メンバーを完成させて、レコード会社とかレーベルを探して…」
「いや、それはしない。鹿浜橋ミュージックで得た人脈は、俺らのバンドでは使わない」

キバさんは、人脈を「足枷」だといった。
「人脈が、しがらみを生む。オマエだって、わかってるだろ。それは足枷になりかねない。バンドにとって必ずしも上手く作用するとは限らない」

確かに、その通りだ。レコード会社、制作会社、プロダクション、音楽出版社、著作権管理会社、広告代理店、テレビやラジオ…と、細分化していくとキリがない。基本的には、それぞれの会社をニーズに合わせて組み合わせることで、良い作品が生まれたり、効率的に流通できたり、大掛かりなキャンペーンが実行できる。いろんなプロフェッショナルが、それぞれの持ち場でベストを尽くすことで、音楽業界は成り立っている。

けれど、いろんな関係者が入り乱れる構造が、さまざまなしがらみを生む温床になっている面もなくはない。会社をまたいだ転職も日常茶飯事だ。気がついたら、会社同士、人間同士の人脈に、プロフェッショナルであるはずの個人が搦めとられて、がんじがらめになってしまうことだってある。

「せっかくいい作品をつくっても、あの人に恩があるからリリースはこの会社、鹿浜橋ミュージックでお世話になったからプロモーションはこの会社、なんてやってらんないだろ。その都度その都度、いちばんいい選択をすべきなんだ。そのために、少なくとも何年かは、できるだけ貸し借りを少なくして、あくまで全方位から独立したバンドとして活動していく。そのためには、メンバー探しも、自分たちでゼロからやんないとな」

先が見通せない不安は確かにある。けれどそれ以上に、胸にしまったはずのプレイヤーへの思いが、また頭をもたげてきたのを感じた。もう迷いはない。

「わかりました、やりましょう、バンド」
「ああ。とりあえずあと3か月、鹿浜橋ミュージックにちゃんと恩返しして、7月から始動だな」

ぬるくなって炭酸も抜けたコーラで、乾杯した。ふたつの手錠、ひとつの足枷。このバンドは、自由になろうとしている。

ふと思い出して、LINEのことをきいてみた。
「キバさん、ぼくが宮中しほりの現場に入るまえに、誰からも信用される仕事をしろ、ってゆってたじゃないですか。あれってなんだったんですか?」
「ああ、あれはまだ内緒。でも、期待通りだったぜ。俺の描いたビジョンのままに進行してる」
「会社を辞めるから、最後の仕事はちゃんとやれ、ってことっすか?立つ鳥跡を濁さず、みたいな」
「いや、それもあるけど、核心じゃねーな。いずれにせよ、すぐにわかる」

まだ何か、このバンドにはぼくの知らない隠し球が潜んでいるみたいだ。

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