音楽ディレクターの男08

次にキバさんから連絡があったのは、ニシオカさんととりふくに行ったときから2週間ほど。宮中しほりの仕事を打ち上げた日のことだった。「夜、とりふく20時。今後の話をする」。いつも要点だけのLINEだ。少し早めに行ったのに、キバさんはもう、焼鳥丼をかきこんでいた。体格に反してキバさんは下戸だ。

「おう、久しぶり。宮中の新譜、うまくいったんだってな」
「ええ、まあ、何とか」
サラダと焼鳥、烏龍茶をオーダーした。キバさんと2人のときは、ぼくも酒は飲まない。

「俺、鹿浜橋ミュージックを辞めるから。合併後のクリスタルには行かない」

これは予想通り。前置きは長くせず、すぐに核心を突き出す。いつもの話し方。

「バンドやるから。俺がギター。オマエはベース。ボーカルも1人は決めた。あとはこれから探す」

烏龍茶を吹き出しそうになった。ギリギリで堪えたら、行き場を失った液体が鼻の奥に殺到した。激しくせき込んで、呼吸が止まった。朦朧とする意識の奥で、キバさんの言葉の意味を受け止めようとした。けれど、うまくできなかった。

「マンガみたいな反応すんなよ」
アンタのせいだろ、と叫びたかったが、それもできない。キバさんは素知らぬ顔で、2杯目の焼鳥丼に山椒を振りかけている。出汁巻玉子と唐揚げまで追加していた。

「バ・・・バンド?」

咳がおさまってから、目に涙を浮かべたまま、繰り返した。
「そう。バンド。これから立ち上げる」
「そ、それに、俺が入るんすか?スタッフとかじゃなくて?メンバーとして?」
「そう。そういうこと」

あまりの展開に、頭が追いついてこない。勝算は、見通しは。
「え、それって、クリスタルからデビューするってことですか?」
「いや、わかんねーよ、そんなの。まだデモテープもないし」
「じゃあ、どっかのプロダクションが推してくれるとか?」
「そんなワケねーだろ。フリーだから」
「いやいやいやいや、どういうことっすか。まったくわかんないっす」
「難しいことねーよ。バンドつくって、曲つくって、地道にライブハウス出て、武道館を目指す、ってだけの話じゃん。みんなやってることだろ」
確かにそうなんだけど。自分の未来だと思うと、とたんにまったくわからない。

「曲は、最初のいくつかは俺が書く。もう準備もしてある。それでデモテープをつくって、歌入れして、他のメンバーを探す。メンバーが揃ったら、リハして、音源つくって、ステージを組む。わかった?」
「せ、生活は?どうするんすか?」
「バンドが売れるまでは、フリーの制作ディレクターとして仕事を受ける。プロデューサーっぽい仕事もあるかもな。それを俺とオマエの2人でやっていく」

意外すぎて反応に困る。というより、まだ話の中身が飲み込めない。自分にとっていい話なのか、そうでないのか、判断がつかない。けれど、断る選択肢はもともとなかった。人生を預けると決めた相手が、そう言っているんだから。とりあえず生活はできそうだ。家賃も払えるはず。そこだけは安心していいのかも知れないけど。

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