音楽ディレクターの男07

いよいよ、何か始まるのか。一瞬、顔がこわばったのを、ニシオカさんが見逃すはずがない。

「なになに、どうした?」
「いや、いまキバさんからLINEが来て。これからの相談をしようって」
ニシオカさんにLINEを見せる。
「んー、コレをみる限り、何かしら考えてるのは確かなんだろうな。その何かしらに、オマエを巻き込もうとしてるってことか」
「まあ、そういうことなんですかね。俺としては、キバさんと仕事できれば、それ以外の条件は特にないし。どうなってもいいや、と思ってるんですけど」
「しかしまあ、クリスタルはなさそうだな。転職か、独立か」
「やっぱそうですかね。そんな気はしてたんですけど」

鹿浜橋ミュージックに残ってそのままクリスタルに転籍するなら、経歴書なんてとっくに出して、あとは上のほうに任せておけばいい。それをせずに引き延ばしていたということは、会社に残るつもりなんてなかったってことだ。ぼくらの仕事は、会社の看板より個人のスキルと人脈で成り立っている面が大きいので、優秀な人はどの会社も欲しいし、独立してフリーランスになることも珍しくない。キバさんの実績、ネットワークなら、独立しても仕事に困ることはないだろう。ぼくを引き連れての独立。ありうる話だと思っていた。

「でも実際、普通に考えたら、転職か独立、選択肢ってそんなもんですよね」
「わかんねーぞ、あいつのことだから、急に焼き芋の屋台を引く、とか言い出すかもな」
「あは、そりゃたいへんだ。今のうちから足腰を鍛えておかないと」

軽く笑ったニシオカさんが、日本酒と鳥刺しを注文した。いつものシメだ。

「俺、オマエはクリエイティブの方向に行きたいんじゃないかって思ってたんだよな。だから、キバを紹介したんだけど。それって、間違ってなかったか?」

ディレクターは作家やミュージシャンがクリエイティブな才能を発揮できる環境を整えるのが仕事で、自身がクリエイティブな作業をするわけではない。それがタテマエだが、実際のボーダーは曖昧だ。クリエイティブな業務にばんばん手を出すディレクターもいるし、プロデューサーやプレイヤーの意向を汲み取って、彼らが制作に専念できる環境をつくることにだけ集中するタイプもいる。キバさんは前者の代表格。ぼくも入社当時は、管理系だけに集中するのは気が進まなかった。ニシオカさんはそのことを察知して、クリエイティブには手を出さない自分ではなく、キバさんにぼくを預けたんだろう。

「え、俺は…よかったと思ってます。ほんとに感謝してます。ニシオカさんが繋いでくれたから、キバさんと一緒に仕事をすることができたんで。でも、ニシオカさんにいろいろお世話になることができて、ほんとによかったです」
「あ、いや…」
「まだぼくのこと、切らないでくださいよ。ほんと、頼りにしてるんですから」
「バカ、まだどうなるかわかんねーのに、なに言ってんだよ」

いずれにせよ、これからはニシオカさんとは別の道。それはまちがいないみたいだ。けれど、この道の始まりは、この先輩が導いてくれた。それだけは、これから先もずっと、変わることのない確かなことだ。もうすぐ無くなる郊外の中堅レコード会社。それが自分のルーツであることも。

少し赤くなって日本酒をすすった先輩を、目をそらすことなく見ていた。

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