音楽ディレクターの男02

「あ、ふんまへん、はひがほうほざいはふ」

コーヒーを受け取り、ポケットに入れる。歯磨きの途中なので、カツゼツは仕方ない。

「そういえば、聞きたいことがあったんだけど。オマエ、いつ落ち着く?もうそろそろか?」
「そうですね、たぶん明日から3日くらいはフラフラしてるかな」
リスケの結果、レコーディングの再開は6日後から。事前準備を考えても、何日かは余裕があるはずだ。

「そか、いっぺんメシ行こうぜ。いつがいい?俺は来週からロンドンだから、今週しかないけど」
「だいじょぶっす。たぶん明日とかでも」
「あ、じゃあ明日にするか。っていうか今日か」
「了解っす。時間が読めたら連絡ください」
「てゆか、聞きたいことって何すか?」
「ミヤタさんに頼まれてんの。オマエの進路、確認しといてくれって」

ミヤタ部長は、ぼくらの直属の上司。ぼくは第1制作部第3制作室のヒラ。ニシオカさんが第6制作室の主任。ミヤタ部長は第1制作部長だ。

「あ、そういうこと…」
ニシオカさんは片手を挙げて、席に戻っていった。

会議室に戻る。再調整したスケジュールをひとつの書類にまとめる途中だった。けれど、なかなか頭には入らない。これからのことを、ぼんやりと考える。ウチの会社はもうすぐ買収され、別の会社と合併する。会社はどうなるんだろう。自分はどうすればいいんだろう。考えても仕方ないことはわかっているけれど、考えないわけにもいかない。

ニシオカさんと同じ現場だったのは7年前。ぼくが音楽ディレクターとして鹿浜橋ミュージックに入り、最初に担当した案件で、いちばん近い先輩だった。バンドで成功することを夢見ていたが、どうにも芽が出ずに解散。失意の中で、それでも音楽に関わっていたいと、レコード会社に恐る恐る足を踏み入れた。そんなぼくに、裏方の仕事のやりがいと厳しさを教えてくれたのが、ニシオカさんだった。2年ほど、コバンザメのように、ニシオカさんの後をついていた。食事に誘ってもらえて嬉しかった。すっかり温くなったコーヒーをすすって、書類にとりかかる。

なんとかまとまって、関係者にメール。早朝5時過ぎに会社を出た。荒川の堤防を自転車で20分。自宅までは軽いサイクリングだ。鹿浜橋ミュージックは、その名の通り、荒川にかかる環状七号線の橋、鹿浜橋のふもとにある。環七といえば、自由が丘、三軒茶屋、下北沢などの脇を抜ける一等地のイメージが強いが、中野やら板橋を経て足立区まで来ると、いかにも郊外。ファミリーレストランやロードサイドの大型店舗が立ち並び、東北道や常磐道に繋がる首都高のインターチェンジが点在していて、大型トラックがひっきりなしに通る。いつも砂埃に霞む街。華やかな芸能界の空気はミジンも感じられない。一応、レコード会社なのに。まあ、もうすぐなくなっちゃうんだけど。

3月も半ばを過ぎて、少しずつ春の空気が濃くなっている。この時期にインフルエンザて。尻ポケットのスマートフォンが、メールの着信音を何度も流した。そういえば、ずっと会議室で作業に追われていたから、自分のデスクでメールチェックをする機会がほとんどなかった。未開封のメールが溜まっているみたいだ。けれど、立ち止まって確認したりしない。通勤のときは、できるだけ自転車を降りず、まっすぐ駆け抜けたい。

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