017 作詞のレトリック#05:仮託

コレはあまりなじみのない表現技法かも知れません。仮託とは、感情や情景、決意やメッセージなど、さまざまなことがらを、ひとつの物体に象徴させることです。なんて説明したところで、何のことやらわかんないですよね。具体的な例を挙げてみましょう。ぴったりの作品があります。

思春期に少年から大人に変わる
道を捜していた 汚れもないままに
飾られた行き場のない押し寄せる人並みに
本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

壊れかけのRadio/徳永英明(作詞:徳永英明)

仮託といえばこの作品。唯一無二、この技法のトップ・オブ・トップです。少年時代にベッドの脇に置いて、さまざまな音楽作品を流してくれたRadio。大人になって道に迷い、あの頃の純粋で素直な気持ちに戻ることができたら、と願ったとき、彼の脳裏に浮かんだのは、あのRadioだったんです。古びた、何も聞こえなくなったRadioに、純粋だったころの自分を仮託して、ノスタルジーの象徴として描き出す。美しすぎるほどの仮託表現だと思います。

恋するフォーチュンクッキー
未来はそんな悪くないよ

恋するフォーチュンクッキー/AKB48(作詞:秋元康)

こちらも名曲。仮託という表現のメリットを見事に体現していると思います。

フォーチュンクッキーとは、占いに用いるお菓子のこと。クッキーの中におみくじが入っている、北米でポピュラーなカルチャーです(日本人がアメリカで始めたという説もあるそうです)。

主人公は何度も失恋を経験した冴えない女の子。それでもまた好きな人ができました。パッとしない自分に、相手は振り向いてくれないかも知れない。けれど、恋愛のトキメキは抑えられない。フォーチュンクッキーに願いを託して、この恋と付き合っていこう。という、ポジティブな決意をフォーチュンクッキーに仮託しているわけです。

この技法は、暗喩とよく似ているように思えるかも知れません。確かに、境界線は曖昧です。一般的には、暗喩は実際に存在していないもの、実際とは異なるものを用いる技法であることが多いです。前回の記事でいえば、あなたと私はさくらんぼではないし、人生は紙飛行機ではないわけです。一方で仮託は、壊れかけのRadioは実際に物体として存在している(はずである/ことになっている)し、フォーチュンクッキーも現実に存在するカルチャーです。その違いを意識して使い分けると、表現の幅が広がるのではないでしょうか。