縁取りのない

音楽含め芸術は底なしの沼だ。明確なゴールはないから、最後に区切りをつけるのは己の感性になる。良いものにしたいと目指せば目指すほど深みにはまって、何が正しいのかわからなくなる。
足りない。足りない、足りない、足りない。そればかりだ。
技術、知識、センス、経験、自分の求める理想の音楽を構築するには、全てが必要だった。
永遠に終わらないジグソーパズルにでも挑んでいる気分だ。得てきたものも確かにあるはずなのに、目に映るのは欠けているピースの穴だけ。しかも、長い間向き合っていくと視野が広がってきて、埋めなければならない穴が認識していたよりも多かったことに気付いてしまう。
自己満足でなく誰かに認めてほしいのであれば、なおさらだ。他人から見て気に入られやすい形を意識して埋めていかなければならない。好き放題自由に進めるだけでは、望みの結果は出てこない。でも他人の感性もそれぞれだから、答えは無限にあって、その実どこにもない。
私はいつもそのパズルの向こう側に自分を見る。未完成で不甲斐ない、いつまでも現状に満足できない自分を見る。自信のない、焦りと不安がにじんだ顔の自分を見る。

やめてしまえば、こんなに楽なことはない。

楽しくなければやめればいい。たやすくて簡単な話。終わりのないものを突き詰めることに疲れたのなら、その中で自分を見失いそうになるならなおさらだ。むしろ、つらいならやめた方がいい。
生きているだけで丸儲け、なんて言葉があるが、本当はきっとそうなのだろう。こんなことしなくたって私は私なのだ。だったら、いつまでも暗い顔をした自分と向き合う作業なんか苦行以外の何物でもない。世の中にはもしかしたら、もっと楽しいことがあるかもしれない。自分の作ったものを広めたいなんて欲さえ出ない、「私が楽しいから正解」で留まれるような何かもあるかもしれない。未完成な自分に憤るのではなく、今ここで成長していく自分を大いに愛することが出来るような何かが、あるかもしれない。

だけど、私は音楽以外には手が伸びない。

出来ないことがあるたび、ああ畜生と歯噛みする。もっと上手になりたい、もっと出来るようになりたい、いい曲が書きたい、いい唄が歌いたい、目の前のどうしようもなく広いパズルをどうにか埋めていきたい。いつか音楽を通して見た自分が、晴れやかに胸を張る日が来ると信じたい。そうなるために、納得いくまで続けたい。理屈を並べても、この衝動だけはもうどうしようもない。
 
気付けばまた、息をするように、同じパズルのピースを探し始めている。