曲の作り方について 02
「今めちゃめちゃいいメロディできた!」と、頭の上に豆電球が飛び出す時は大体目の前に楽器もPCもない。自宅のリビングで生まれた曲は多分一つもない。いつも何か他のことをして出かけているとき、脳みその片隅で湧き出てくる。そして、思いついたものの9割9分は、不思議なことに、2時間も経たないうちに跡形もなく忘れてしまう。
なんでなのかさっぱりわからないが、絶対に一回「忘れる」という工程がある。どんなに「これ覚えておかなくちゃ」と意気込んで、頭の中で何度も繰り返しても、一瞬夕方のチャイムに気を取られたりした後には本当にすっかり何にも出てこなくなったりする。
だが、これは自分ルールというか、自然と出来たメソッドだが、私は絶対にアイデアを録音しない。
作った私が覚えられないほど印象に残らないのでは、誰が聴いてもそういうことだろう、その程度のメロディだったのだと、思い出せないのが惜しくて理由をこじつけたのが最初だった。
しかしのちにもっと大きな理由ができた。忘れた後、「2日経つと帰ってくる」メロディがあるのである。
思い出そうとしてうんうん唸るのでなく、ふっと頭に蘇ってくる。そうして思い出したメロディは必ず、最初に思いついた時よりもキャッチ―で、綺麗になっていて、何よりもう二度と忘れないものになっている。
だから一回アイデアを忘れたら、とりあえず放っておくことにしている。帰ってきてくれた時には「おかえり」とか思いながら、今度こそちゃんと曲にするためにキーボードを叩く。
どういう理屈か、一度気になってネット検索したら、レミニセンス現象とかバラード・ウィリアムズ効果なんて難しい単語が出てきたが、完全には納得できなかった。
後から思い出したメロディは間違いなく良くなっているので、もしかして、頭から抜け出していったメロディは、どこか私の知らないところで修行して帰ってきたのだろうかと、こういうことが起こるたび空想してしまう。それならちょっと面白い。
「おかえり」の瞬間、私は何度経験しても心臓が速くなる。早く早くドラムでもギターでも何でも鳴らして形にしたくて気持ちが逸る。
忘れたまま、二度と思い出せないメロディだってもちろん山ほどあった。その中で、ちゃんと帰ってきてくれた。より輪郭をくっきりはっきりして、脳裏に深く刻まれる形で帰ってきてくれたのだ。
曲にしない手はない。それ以外何があるというのだろう。
だって、そのために帰ってきたに決まっているじゃないか!
覚えにくい旋律で曲を作ったってそれはそれで素敵なことだ。というか作曲含め創作なんて、言ってしまえばなくても人の世は成り立つのだ。最初から何をしたっていいし、しなくたっていい。
でも私の頭の中で、確かな形がずっとごろごろ転がっている。
それならそこにはきっと意味がある。出力してあげなくちゃいけないじゃないかと、思うのである。