無題

音楽なんかやめてやりたかった。
どこで間違えたんだろう、どこで今の私になってしまったんだろうと、ふと考える時がある。
覚えている限りの最初の記憶。母の実家の階段の踊り場で、トイレットペーパーの芯とアルミホイルで作ってもらったマイクで、もう思い出せない自作の唄を歌っていた頃からだそうか。それとも、家族がそれを喜んで拍手して、おうたがじょうずね、と褒めてくれたからだろうか。
あるいは、小学校の時にコンクールでソロに選ばれたから?バンプオブチキンに出会ってしまって没頭したから?自分が思っているよりずっと後だろうか。どこで、引き返せなくなってしまったんだろうか。
どうして理論もわからないくせに曲を作ってみようとしたんだっけ。どうして、完成してしまったんだっけ。それを誰かに「聴いて欲しい」なんて思うようになってしまったんだっけ。

音楽なんかやめてやりたかった。

夢もなく、憧れもなく、その場が楽しければいい、ちょっとへその曲がった大人がよく言う「今時の若者」だったらよかった。今日と同じような明日があって、仕事はしんどいけどとにかく続けて、友達と遊んで、恋をしたりして、いつかは家族が出来て。趣味は、趣味だと割り切って。
そういう繰り返しの中で歳をとる「普通」とは別のものが欲しいなんて、思っていたはずなのに。あがけばあがくほど、そこで満足できればよかった、なんて自分勝手な気持ちが溢れて仕方がない。もう自分では名前の付けようもない執着が、鬱陶しいのにそれでも手放せなかった。

音楽なんかやめてやりたかった。

ただちょっと曲が書けると知ってしまった。ただちょっと唄が歌えると知ってしまった。
中途半端でどこにも行けない、個性の範疇を出ない才能を抱えて、自分の意味を見いだしたがった。
誰かの心を刺したかった。誰かが口ずさむ思い出になりたかった。誰かに爪痕を残したかった。
努力した。努力したと思う。それもわからない。本当に努力できていた?誰かに指摘されれば牙をむきたくて仕方なかった。だけど実際足りないところばかりじゃないかと言われればもう黙って傷つくことしかできなかった。

音楽なんかやめてやりたかった。

なくても生きていけるものが人生にこびりついて取れない。この先これをずっと抱えたまま生きていくのかと思うと眩暈がする。それでも私はまた曲を書いている。唄を歌っている。

音楽なんか、やめてやりたかったのだ。

いつか全てを終えて人生に幕を下ろす時、私はきっと真っ先に思うだろう。家族や友人や、恩ある人たちを差し置いて。
私がこの手で作った曲たちと、馬鹿みたいにそれをひたすら愛した、私自身を思うのだろう。